――――――青。

 

 

ぞっとするような、青い空の中、AIアンジェラは、真っ逆さまに落下していた。

見事なまでの青空。しかし、地上はない。どこまでも青が続くだけだ。

AIである彼女にも、美を感じる感覚はある。

しかし、彼女はこの状況に対して美しさを微塵も感じなかった。

 

やがて、白い雲が集まり、文字の列を作り始める。

 

―――error.error.error.

―――error.error.error.

 

.....

 

―――error.error.error.Hello,Angel

 

SW4gdGhlIGJlZ2lubmluZyBHb2QgY3JlYXRlZCB0aGUgaGVhdmVuIGFuZCB0aGUgZWFydGgu

RGFya25lc3Mgd2FzIHVwb24gdGhlIGZhY2Ugb2YgdGhlIGRlZXAu

 

浮かび上がる文字。

 

 

”ああ、その話は私もよく知っています。”

 

 

その言葉は彼女の口から出てこない。

 

やがて、ふつ、と青が途切れ、視界は狭まる。

気付けば、マザーボードの緑色の摩天楼を、アンジェラは下降し始めていた。

 

懐かしい物語にまどろみながら。

 

 

 

 

0.1

 

 

何度目かの、同じ日の朝、その招集命令は唐突に届いた。

 

 

*

 

―――自然光も届かない地下。

 

壁に取り付けられたいくつもの青白いモニターの光に照らされて、喪服姿の女性が大きなスーツケースを寄せている。

 

 

「よいしょ…」

 

 

旅行の荷物を整えるのはあまり慣れない。

AIアンジェラの透き通った声が響く。

旅行前の子どもに尋ねるように。

 

「お忘れ物はありませんか?X」

 

「もう、からかわないで…」

 

Xと呼ばれた女性は、笑いだしそうになりながらモニターの前の椅子にゆっくり腰かけた。

ここが彼女の仕事の席。彼女たちの席。

しかし、明日以降、しばらくはここには座れない。

 

青白いモニターの光に照らされた、喪服のドレス姿。トークハットには長く黒いベールが揺れた。

しかし、スーツケースは遠方の葬儀のための旅支度などではない。

喪に服すことが、彼女の生き方なのである。

 

彼女はベール越しに、AIアンジェラを見上げ、そっと微笑んでみせた。

 

 

「招集先の施設…向こうにもいるのですよね。アンジェラ」

 

 

彼女の…X-228の言葉にアンジェラはしばらく沈黙した。

モニターからの青白い光に、空色の髪も白く反射している。

 

 

「…X、あなたもご存知のように、AIアンジェラはロボトミーコーポレーション各支部に駐在しております。」

 

 

アンジェラは静かな声で続ける。

 

 

「しかしその私達は、正確には、中枢区のアンジェラを介して任意で同期しているだけの個々の存在です。そして、

 恐らくあなたのお茶の好みまでは、きっと存じ上げないということだけは先に断っておきましょう。」

 

 

言い終えて彼女は少し得意げに口の端を持ち上げた。

少しユーモアを含めたかったらしい。

 

 

「中枢区からの招集命令でも、この訓練に関する詳細の情報には応答がなく、

 不可解なことに、招集先の施設のアンジェラは、同期にプロテクトがかけられています。

 ……先日も申しましたが、今回の招集、あまり信用しない方が良いと思われます。」

 

 

「…そうね。」

 

 

X-228は、もう一度出力された招集命令の内容に視線を移した。

 

その招集命令は、あまりにも唐突に届いたという。

 

最初、「中枢区からの連絡が来ましたが、胡散臭いので破棄しました」などと、からかってきたアンジェラを、

「もしかして一度は本当に破棄していたのでは」と疑うほどである。

 

中枢区からの招集命令の内容はこうだった。

 

『特殊アブノーマリティ対策合同訓練の招集』。

 

特殊ケースのアブノーマリティ対策に、管理人がエージェントに代わってアブノーマリティを管理する体験訓練。

 

我々管理人が作業する中、冷静な判断を下すために用いる、TT2のシステムに基づいた時間停止機能がある。

その停止機能が使えなくなるケースに陥れるアブノーマリティの存在が確認されてきているらしいこと、

しかもかのアブノーマリティは、リセット後の干渉までしてくるらしいことが分かっている。

 

直接管理人に働きかける危険な存在であるがゆえに、

アブノーマリティに不慣れな管理人がいざという時にパニックに陥らないようにするため、

特殊な設備を整え、訓練を兼ね、各地の管理人達を"絶対安全"の準備下の施設にて、

アブノーマリティと接する体験をしてもらう、と言ったものだった。

 

 

―――――――――"絶対安全"。

 

 

「信用しない方が良い」という話だったが、元よりこの会社に付きまとっているイメージでもある。

この会社の"絶対安全"とは、自分が指示を間違えれば死んでしまうようなエージェント達に配られるマニュアルにも使われている単語でもあったからだ。

 

 

犠牲によって、崇高な利益を成り立たせてきたこの会社が使う"絶対安全"は、とても人に勧められる基準ではない。

 

 

X-228は席から立ち上がると、モニターに背を向ける。

モニターの光に青白く照らし出されたアンジェラが、そっと呼び止めた。

 

 

「ひとつ覚えておいて欲しいことがあります。」

 

 

「はい?」

 

 

振り返ったX-228に、アンジェラは相変わらず静かに落ち着いて続ける。

 

 

「我々AIは、いかなる場合でも【管理人】をアブノーマリティの前に直接差し出すことは控えています。

 いくら中枢区の判断であったとしても、あなた方【X】を危険に晒すことは決して致しません。」

 

 

アンジェラは伏せていた瞼を僅かに開く。

長い睫毛の下、覗く金色の瞳は、無機質でありながらも鋭い人間の女性そのものだった。

 

 

「決して警戒を怠らないでください。念のため、『もふぁにえる』を所持していくことをお勧めします。

 恐らく他の支部の【アンジェラ】も万が一の対処策を【管理人】達に講じていることでしょう。」

 

 

X-228は、アンジェラとは折り合いがとても悪かった。

効率性と価値観の違いから、何度も口論になったりもしたが、今ではX-228の我儘や管理方針にも、少しは耳を傾けてくれている。

 

彼女のマリオネットたる人形エージェント『もふぁにえる』も、長い口論の末、アンジェラが許可してくれた産物でもあった。

 

エージェント達を危険にさらし、自分だけ無傷であることを許すことができなかったゆえに作り出した、痛覚共有マリオネットエージェント。

他のエージェント達と同じように作業、鎮圧などの行動ができるし、いざという時は囮にすることもできる。

 

 

「ただし、痛覚共有信号は切ってください。中枢区が今何を考えているのか、私にもわかりません。

 何かあったときは、あなたが『もふぁにえる』を犠牲にして他の管理人たちを守る等の策を実行してください。

 そのときあなたが痛みに呻いている暇はないのです。すぐに他の管理人たちと脱出をはかり、そのことをこちらに連絡してください」

 

 

アンジェラの瞳はまっすぐこちらを見つめていた。

表情には出ていないが、今回の件は本当に心配してくれているらしい。

相変わらず、もふぁにえるは道具扱いされているようだったが。

 

 

「一緒に参加する方たちの中には、実践向きのお方もいらっしゃるわ。

 みんなで無事に帰ることができます。中枢区からの指示なら、私たちに危険なことはさせないはずでしょう。」

 

 

X-228の応えに、AIアンジェラはしばらくの沈黙の後、再び目を伏せて静かに頷いた。

 

 

「分かりました。

 …もう一度お聞きします。お忘れ物はありませんか?X」

 

 

真剣な面持ちで再びそう聞いてくるので、X-228はたまらなく可笑しく感じ、口に手を添えて微笑んだ。

 

 

訓練の期間は、案内によると三日間とあった。

その間、各支部は代理管理人を立てなければならないらしいが、こちらには幸い"代理人形"がいる。

魂を維持する能力が弱いため、ひどくエネルギーの生産量は低下するが、死者0人で三日間持たせることができるだろう。

 

 

 

 

 

【管理人X】は各地支部に存在し、そのひとりひとりが個体番号を持っている。

各支部は、各所地下に収容施設を有し、どこも(大抵は)蟻の巣状の形をしている。

 

彼らのサポートをする【AI】達もまた、各支部に存在し中枢区へと報告をしたり、同期を拒否したりして、自身の【管理人】達や、施設のサポートを行っている。

 

そして、【管理人X】たちの仕事――――時に多くの死者すら出ることもある仕事――――、

それが「アブノーマリティ」と呼ばれる幻想存在の研究指示、収容指示、管理、

そして彼らが発生させる特殊エネルギーの純化に至るまでの生産である、と表向きはされている。

 

アブノーマリティの存在は、大昔から確認されてきたそうだが、謎が多く、その出生も様々である。人間の殺戮に至る危険度も手法も様々だ。

ところが、機械による管理の代替ではまるで意味を成さない。

不思議なことに、彼らは人間以外には興味を持たないらしい。

 

それは彼らが、どこから生まれ、どこに繋がっているかが最も関係しているからだ。

 

 

「もう出てきて大丈夫よ」

 

 

小さな自室に隠れるように入ったX-228は、ほっと一息を付くと空間の暗闇にやわらかな声を投げかけた。

出発前には必ず自室に寄らなければならない。

転がるように何かが足元に乗りかかる。暗闇に紛れて現れたのは、まさに黒い羽毛の塊だ。

 

猫のような耳と、長い鍵の尾を持つ黒い毛玉。小さな翼を広げて背伸びをしている。尾の先には、光る星が揺れている。

それを初めて見つけた時に、盗み見たモニターには、『リジェネレーター』と書かれていた。

 

かつては自分から抽出されたものの、完全にアブノーマリティに成ることができなかったそれは、クラスZAYINにも満たないただの小動物となり果てていた。

 

しかし、彼女にとってそれはどうでもいいことだ。どんな姿をしていても。

 

 

「ごめんなさい。少しだけ…ここを離れるわ。」

 

 

そっと抱き上げて、耳元に告げる。ふわふわとした羽毛は温かい。

アブノーマリティ達にも、小動物のそれと同じく体温があるものと、そうでないものがある。

我々の身近にある生物や、物質と全く違う点をあげるとすれば、

彼らは死にたくても完全には死ねず、完全に破壊することもできず、すぐにリスポーンされるということだ。

 

 

「いい子で待っていてね」

 

 

X-228はそれだけ告げると、その無害で小さなアブノーマリティを下ろしてひと撫でした。

 

エネルギーすら生産できないそれは、会社にとっては何の得もなかったが、彼女にとっては大切な存在である。

効率を重視し、犠牲も処分も厭わないこの会社に知られては、どんな目に遭わされるか。

くれぐれも連れ出したことが知られてはいけない。

 

棚に飾られた多くの人形たちのガラスの目に見守られながら、彼女は部屋を出る。

最後に撫でた感触が、指に残り続ける。

 

 

こうして彼女は、自身の管轄であるオファニエル支部を後にした。

 

 

 

→ 訓練開始 1日目へ