『11月の雨』

 

 

 

その異常があったのは、出撃を控えた静かな休憩時間のことである。

 

 

*

 

 

カフェテリアの一角には、パーティションで仕切られた休憩スペースがある。

土足禁止であるが故に、のびのびと足を投げ出すことが許された場所で、

ここぞと言わんばかり雰囲気だけが優しい暖色ランプが置かれていた。

 

「むにゃ…」

 

皿面はそこで巨大なマシュマロ…

の、ようなクッションに身を任せて休んでいる。

お面越しの目はうとうとと、カフェテリアと一続きの高い天井を見上げていた。

 

空調も申し分なく、

絶好のお昼寝コンディション。

 

このスペースは外の様子が伺えるガラスの壁の一角もカフェテリアから預かっているが、

未だに降り続いている雨が見える。

 

かなりの豪雨のようでもあったが、その音はほぼ無音に認識されるくらい、

空調の音とカフェテリアの静かな音楽に掻き消され、とてもわずかだ。

 

 

この上ない安定感。

世界が自分を寝かせにかかっている。

 

 

人の気配に皿面は重い目蓋を少し開けて辺りを見渡すと、

少し近くのクッションに333がもふりと乗っかって眠っているのが見えた。

口から八重歯を覗かせた無邪気そうな寝顔を見て、皿面もほっと息をつく。

 

 

皆くたびれている。慣れないこと続きだ。

 

 

彼は、ふと、今日くらい自分もみんなものんびりできる休日であったならば、と思った。

 

 

―――――その瞬間。

     全てが止み、

     雨の音だけが強まって聞こえてきた。

 

「む、にゃ…?」

 

皿面が重い目蓋を皿の下で開くと、側では333も異常に気付いたのか、目を擦りながらあたりを見渡している。

 

先程より、わずかに暗い。

 

ランプの灯りが消えている。

 

 

「あれぇ…?」

 

 

*

 

 

「あら…」

 

宿舎の休憩スペース。

ドリンクサーバーのライトや明かりが突然消え、ソーニャはマグカップを手にしたまま首をかしげた。

 

「停電…でしょうか?」

 

ラサは辺りを見渡す。

照明だけではない。空調やドリンクマシンの諸々まで停止している。

 

先ほどまで一緒に談話していた259も、窓の外を見遣る。

通路を挟んだ宿舎の吹き抜けから降り注ぐ、白い雨空の光だけが遠くに見えた。

 

 

「どうやら、そうみたいですね…。

 私はセフィラに知らせてきます。

 お二人は待っててください」

 

 

259は、そっと踵を返して階段に歩みを向けた。

エレベーターも、この様子では動いていないだろう。

 

「259先輩、私たちも一緒に行きますよ」

 

少しわくわくした様子のラサの隣で、

ソーニャもうなずく。

施設内の電源が落ちてしまうなんてそうそうないことだ。

どことなく非日常の不安と新鮮さが漂っている。

 

「ふふ、では、一緒に行きましょう」

 

259は微笑みかけると、歩く速度を落として階段の降り口で待つ。

 

「お足もと、暗いのでお気をつけて。」

 

ソーニャが振り返って言ったものの、ラサから返事はなく、

そこには長椅子に倒れ込むように突っ伏した彼女の姿があるだけだった。

 

 

「…大変…!259さん!

 ラサさんが…!」

 

 

*

 

 

「それでのぅ、ルドル・タの一番柔らかいところはのぅ…

 ―――――…おん?明かりが消えたかえ?

 ムーディーじゃのう、ふふふ」

 

キャロンは食事を終えてからも、こうして体験の思い出を反芻することが、訓練中の日課だ。

カフェテリアの明かりが消えたが、よだれは止まっていない。

 

「……」

 

メアリーは、無言で少しばかり暗くなったあたりを見渡す。ムーディーなわけではない。

 

空調の音と、カフェテリアの外の、うす明かるい雨模様の空の色だけが広がっていた。

 

青ずんでいる。

 

メアリーはゆっくり立ち上がると、未だ泥酔したように語りたがるキャロンのそばに行こうとして、

何かにつまずいたのか、そのまま倒れてしまった。

 

「メアリー?暗いからのう。

 うふふ、わしが抱っこしてやろうかえ」

 

キャロンが口からよだれを溢しながら駆け寄り、メアリーの肩に触れる。

 

いつもなら、「大丈夫です」「自分で立てます」と真顔であしらいそうな彼女だが、無言で倒れたままだ。

 

キャロンは、すぐに彼女の異変に気付いた。

 

 

「…?

 メアリー…メアリー!!」

 

 

キャロンは慌てて彼女を抱き起こす。

 

呼吸はある。

しかし、それは荒く熱い。

 

額に少し手を触れるとすぐに、そのままメアリーを抱き上げて走り出した。

 

 

―――…どこか、人のいる所へ。

 

 

彼女は焦燥感の中、人の声がする場所へ向かっていった。

 

 

*

 

 

「マルクト…!大変なんです…!

 電気が全て落ちていてどこも扉が開かなくて…!!」

 

 

ホドのややパニックに陥った声がロビーに響く。

 

ラサを抱えた259たちや、メアリーを抱えたキャロンたちもロビーに集まってきたが、

セフィラたちも混乱しているようだ。

 

マルクトはホドをなだめようとしているが、その視線はあっちへこっちへいったりしている。

 

「大丈夫です落ち着いて!!

 扉はチェーンソーを使えば開きますから!!」

 

大丈夫じゃない。

 

ちなみに、チェーンソーで鉄製の扉を切断するとチェーンソー自体が傷むらしいのでやってはいけない。

 

 

「マルクト、ちょっといいですか?」

 

 

見かねた259が、ラサを抱えたままそっと間に入る。

 

「か、管理人さん!?だ、大丈夫ですか…?」

 

ホドが259の腕のなかでぐったりしているラサの姿に驚いて、泣き出しそうな声でたずねた。

 

しかし、259は至って冷静だった。

 

こんなときこそ冷静になれるのが彼なのである。

表情にいつもの彼の笑顔はないが。

 

 

「彼女を部屋で休ませたいのですが…

 電子キーじゃなくて、シリンダー錠は備え付けてありますか?」

 

「あ!電子じゃない方の鍵ですね…!

  もちろん備え付けてあります!

 宿舎棟の鍵なら、全てネツァクが管理していますから…!」

 

 

マルクトがそう言いかけて、辺りを見渡すが、

ネツァクは普段から施設内で神出鬼没らしい。

 

「……」

 

誰もその行方を知らないし、心当たりもない。

停電した今、どこの部屋も"内側から"ならば解錠できるが、

ひとりになりたがりのネツァクが自分から出てくるとも思えない。

 

 

「…やっぱりチェーンソー持ってきます!!

 それしかないです!!」

 

 

彼女が目を回しながら再びそんなことを言い出すので、チェーンソーはともかく、

扉を破壊する暴挙も選択肢に加えるしかないと、誰もが思った。

 

その時だった。

 

宿舎からロビーへと歩みを進めてきた声が、遠くから聞こえてくる。

 

 

「ホ、ホドたん!!わぁ奇遇だなぁ。

 あ、あのさ、なんか電気が落ちちゃったみたいで、部屋の扉がちゃんと閉まらなくなっちゃってさ…。

 良かったら電気が復旧するまで一緒に………

 ――――…ん?どうして集まってるんだ、みんな…?」

 

 

一同が一斉に振り返った先にいたのは、アルジャーノンだ。

たまたま停電のタイミングに、自室の扉を開けて、閉まらなくなったらしい。

 

全員の視線を一度に受けながら、彼が状況を理解するのにさほど時間を要さなかった。

 

 

*

 

 

「みんな!医者を連れてきたわ!」

 

「クルミさん…!」

 

 

開け放たれたままの、アルジャーノンの部屋に入ってきたのは、

クルミに腕を引っ張られるかたちで入ってきた1006だった。

 

半ば強引だったのか、1006は何か言いたげに不服そうな表情をしている。

 

「1006さん、良かった…

 お願いします先生」

 

ソーニャが安心したように会釈した。

その側には、ベッドで眠るラサと、メアリー、そして、メアリーの腕を心配そうに握るキャロンの姿があった。

 

「あのなぁ…俺が免許持ってることをいいことに気軽にドクターコールしやがって…

 言っとくが国家資格である以上、本来ボランティアでやる義務はないんだぞ」

 

1006が頭を抱えてため息混じりに呟く。

有資格者としてのスタンスがあるが、勿論見放しもしない。

 

彼は文句を言いながらも、ベッドで眠るラサとメアリーの様子を手早く診ていく。

額や耳の下に触れたり、口の中を見たり、心音に耳を傾ける。

 

彼は先ほどから未だに不服そうな、気難しい表情のままだ。

 

1006は呼吸を置くとしっかり頷いた。

 

 

「……はい、ふたりとも風邪ですね」

 

「風邪…!」

 

 

ソーニャが細い声で反復する。

 

「でも、どうして彼女たちだけなのかしら…」

 

「まぁ、おおかた免疫細胞の成長途中だからだろうな。

 子どもだけが風邪をひくのは何もめずらしいことじゃない。

 おそらく訓練施設での慣れない生活環境で、疲れが蓄積し、

 停電で施設内の回復リアクターも停止して

 そのタイミングで風邪の症状が一気に起こったと考えられる。」

 

1006は淡々と状況を推察する。

ということは、宿舎内にも一応リアクターが作動していたということか。

 

一気に症状が起こったためか、彼女たちはとても辛そうにしている。

この停電の状況下、看病するための万全の環境は整ってはいないが、

できるだけのことをしなくてはいけない。

 

「風邪なら、セフィラが風邪薬をストックしてないかしら…。

 私、聞いてくるわ…!」

 

開け放たれたままの扉から出ようとするクルミの腕を、1006がさらっと掴んで止めた。

 

「おい待て、市販の風邪薬なんて炎症の痛みを和らげたり抑えたりするやつが基本だ。抗生物質じゃない。

 おそらくここのセフィラどもに頼んでも、渡されるのはエンケファリンだけだ。

 あれは最上級のモルヒネだからな」

 

そもそも、1006はセフィラ自体あてにしていない。

その言葉に、クルミは表情を曇らせていたが、しばらくして首を左右に振る。

 

「じゃあ、せめてお湯を持ってくるわ。

 ちょうど保温ポットに入れてた所だったから…」

 

「ああ、そうしてくれ」

 

1006にようやく手を離されて、クルミは給湯室に置きっぱなしのお湯を取りに向かった。

彼女は停電の直前にお湯の補給をしたところで、部屋には今戻れないが、

たまたまこのタイミングだったのは不幸中の幸いだったかもしれない。

 

部屋の外で、ホドの帰りを今か今かと待っていたアルジャーノンに、ソーニャはそっと身を乗り出して頭を下げた。

 

「アルジャーノンさん、

 お部屋を貸してくださってありがとうございます。」

 

「あ、ああ…いいんだよ。弱ってる子達を部屋の外で休ませるわけにはいかないからな。

 それにしても、俺もまだここに来てソファーでしか寝てなかったから良かったよ。

 ベッドで寝てたら、貸す方が申し訳なかったからなぁ…」

 

わりと紳士だ。

すでに、部屋には自分の仮住まいとして、所々にホドのポスターが貼られているが。

 

 

吹き抜けから見える下の階には、

259が他の管理人たちの状態を心配し、

集合を呼び掛けている姿が見える。

 

この状況下で、

混乱に陥っている管理人たちも多い。

 

幸いにも宿舎のロックは、部屋の内側からであれば電気が通っていなくとも解錠できるので、

閉じ込められることはないが、それに気付くまでパニックを起こす管理人もいた。

 

 

「ジョンさん、大丈夫かい?」

 

 

ウィリーが、ジョンの悲鳴が漏れ出ている扉をノックして、声をかける。

 

彼も259の提案で、他の管理人たちに呼び掛けている一人だ。

とはいえ、ウィリーだけは全く混乱の色を垣間見せない。

こんな時にこそ見られる、管理人たちのまた違った行動が観察でき、少し楽しんでいるようだ。

 

未だに「あっ開かない!!殺される!!殺される!!」と室内で喚くジョンに、

ウィリーは落ち着いた声で呼び掛けを続けている。

 

「ジョンさん、落ち着いて扉を見て。

 扉の下の方にサムターンがあるよ」

 

その言葉を聞き取ったのか、まだパニック常態のジョンは扉にしがみついた。

不安から手元が狂い、上手く解錠できないのか、しばらく手間取ってしまっているようだ。

 

「サムゲッタン!!」

 

そんな声とともに、がばっと開いた扉すれすれの位置で、

風圧を浴びながらウィリーは微笑む。

 

「薬膳料理かな」

 

 

*

 

「訓練中止」という通達がティファレトの口から届けられたのは、それからまだ間もない時だった。

 

電気が停止していることで、地下収容室に赴けないこと、

管理人二人に休養が要されることから、異常事態として

この結論が出たとのことだった。

 

 

「いーーーやーーーだーーーー!!!」

 

 

ロビーの横、地下収容施設へ繋がるエレベーターホールで、

泣き叫んでいる555は今にもエレベーターに

激突しそうな勢いで暴れている。

 

 

「おい!気持ちは分かる!分かるけど!

   落ち着けよ!!おとなげないな!」

 

 

彼を止めているのはブランダーだ。

そばではシャオも心苦しそうな表情で

見守っている。

 

その隣で、ものすごく呆れた表情の

ティファレトがいる。

 

555の暴れようはティファレトひとりには手に負えず、

寂しそうに歩いてきたふたりのきょうだいが居合わせて

止めてくれているのだった。

 

ブランダーはティファレトのことはなんとも思っていなかったが、(視界にも入れない)

飽くまでも嘆き叫ぶ555のことを放ってはおけなかったのである。

 

彼らもまた、収容施設に行けないことを憂いてここに来たから、555のもどかしい気持ちは分かる。

しかし、いくらなんでも、ここで暴れるのは駄目だということはわかっていたからだ。

 

 

彼らきょうだいは、甘え上手にして、

しっかりしている。

 

 

「いーーやーーーだーーー!!

   絶望ちゃんにあいたいー!!!

   1日1回しか会えないことを

    毎日の支えにしとんのに

   1回も会えんとか無理!!!

    むーーーーーりーーーーーー!!!!!」

 

エレベーター前で咽び泣く555を尻目に、

歩いてきたのは武装したゲブラーだ。

E.G.Oミミックを片手に、足早に向かってくる。

 

「遅くなってすまなかった。

   行ってくる。」

 

彼女はティファレトにそう告げると、

エレベーターをこじ開け、ひとり

するすると身を滑らせて入っていった。

 

「ええ、気をつけて。」

 

「いってらっしゃいです…」

 

現在電力が途絶えた施設は、収容にも影響が出ているかもしれないと、

彼女が視察兼、脱走アブノーマリティの確認と鎮圧に赴くこととなったのである。

 

ティファレトと、とても寂しそうなシャオに見送られているゲブラーが、

エレベーターの扉を、ふすまのように軽々と閉めて行くのを見て、555は更に叫んだ。

 

 

「待ってやゲブネキ!!私も一緒に行く…!

  絶望ちゃんに…!会いに行くだけやから…!

  ねぇ!!ねぇー!!!!」

 

 

彼の声は悲痛にこだました。

ここにいる全員が寂しさを抱えていた。

 

すんすん、と沈み始めた555を引きずって、

きょうだいはロビーに向かった。

 

 

 

薄暗くなったロビーは、集まりつつある管理人たちの喋り声で少しずつ騒然とし初めている。

 

 

「そうですか…ラサさんと、メアリーさんが…」

 

 

サイレンはロゴで表情を隠しながら、声を曇らせていた。

ロボトミーコーポレーションの象徴である脳のロゴとXを組み合わせたロゴは、

ぼんやりと発光して見えるが、灯りの代わりになるわけではなさそうだ。

 

「みなさん、他に体調お変わりありませんか?」

 

259は辺りを心配しながら見渡してたずねるが、

管理人たちは口々に「大丈夫だけど…」「なんともないね」「うん」と同じく辺りを見渡す。

 

「おれは平気だけどさー」

 

そう口を開いたのは、少し遅れてきた726だ。

脇には背中にしがみつくように震えている384がいる。

 

「…ご、ごめん……あ、体調はなんとも、ない、です…」

 

384は平気を訴えながらも、その怯え方は尋常ではなかった。

 

辺りは先程よりも日が傾いているのか、いっそう暗くなり始め、視界も狭まる。

不安になるのも無理はないだろう。

いくらアブノーマリティが溢れ出さない地上階層とはいえ、

この状況下は(気持ち的に)地下との境界線も曖昧にさせる。

 

 

『384はやすんでて!

 動けるかんりにんたちで、こーどーしよう』

 

 

333は自信満々に、一同を勇気づけるように、にっこり微笑んだ。

 

「行動って…?」

 

先程まで333と一緒に休んでいた皿面がおずおずとたずねる。

彼も停電から眠気はふっとんだものの、333ほど意気揚々ともできない。

 

『ふっきゅーの協力!セフィラたちのお手伝い!

  らさとめありーの看護!

 そして、晩ごはんの支度!

 ごはん作ってくれるAIが休憩かくのうこの

  閉じ込みに遭ってるってさっきケセドから聞いたからなー』

 

333は指折り説明する。

状況を的確に整理し、ものすごく冷静なことを言っているが、無邪気な印象が拭いされない。

 

「なるほど…確かに。

 停電になってから1時間半が経過しようとしています。

 食事の準備も、まだ明るいうちに完了しておいた方がいいでしょう」

 

サイレンが、ふむ、と頷いていると、違和感を覚えた817が首を傾げる。

 

「…でも、この停電ですし、

 この施設の調理器具や、クッキングヒーターは使用できなくなっている可能性が…」

 

彼女が少し重い空気で言葉を濁しながら言う。

 

冷蔵庫は開くだろうが、食品加熱の必要の有無がうかがい知れない。

またそうでなくとも、ラサとメアリーにはこの状況下、温かいものを持って行くべきだ。

 

 

『……』

 

 

すちゃ、と333はE.G.O『名誉の羽』を真顔で手元から取り出す。

辺りは金色の熱に輝いた。

 

 

「…火というには火ではありますが…

 荘厳すぎて調理には…

    いや、どうなのでしょう」

 

 

サイレンが微笑み交じりに口ごもる。

 

太陽の光で料理する大がかりな工夫は有名だが、

どことなくそれと近いものを感じる。

 

「アブノーマリティのエネルギー(物理)を料理へ…

 これはなかなか面白い研究テーマかもしれないね」

 

ウィリーが興味深そうに言いかける横で、

ジョンは必死に首を左右に振っている。

 

「嫌だ…絶対に嫌だ……」

 

アブノーマリティの抽出物であるE.G.Oの恩恵は、鎮圧や破壊以外に、安全に作用するのだろうか。

怯えている管理人と、なんか面白がる管理人に分かれた。

 

「333くんの火加減で料理されるものも俺は興味あるけど…

 あ、あの…良かったらこれ、使うかい…?」

 

アルジャーノンが、そっと目をそらしながら差し出してきたのは、アルコールランプだった。

 

辺りが薄暗いことから、灯りの提案のために持ってきただけだったが、

火力は強くないにしても、簡単な料理なら温めることができるだろう。

 

「へー、備えあればウレシイなってやつだな。」

 

726が感心して笑っている後ろで「う、うれいなしだよ…」と384の小さなツッコミが飛んでくる。

アルジャーノンが照れながら目をそらす。

 

「い、いや……これでコーヒーとかお茶とか淹れると美味しいんだ…

 これがもうひとつと、あと…

    三脚台も部屋にあるから使ってくれ。」

 

 

「とても助かりますね。

  ところで、333さんの『名誉の羽』はとても眩しいですね。

 どうでしょう、このままセフィラたちの復旧の支援の方が

 彼らにとっても助けになるのではないでしょうか。」

 

 

サイレンは穏やかに333に語りかける。

『名誉の羽』を取り出してくれた好意に、感謝をしている。

何よりも、『名誉の羽』は、懐中電灯よりは見ていて安心するものだ。

 

333は手に持っている炎の羽とは別に、目を輝かせると、嬉しそうに頷く。

 

『おー!そうするね』

 

 

管理人たちはひとまず三手に別れた。

 

333を初めとする、復旧のためセフィラの手伝いをする管理人たち。

 

夕食の調理に挑戦してみる管理人たち。

 

そして、ラサとメアリーを看ながら、

アルジャーノンの部屋で待機する管理人たち。

 

 

「ま、…待って726…!わ、私も何か…」

 

 

手伝えることはないか、

そう言いかけた384は、あまりの怯えようから成り行きで、ラサとメアリーが休む部屋に待機することにさせられた。

 

726と別行動になるのも不安だが、この状況下で待つだけなのは、彼の責任感と罪悪感が大人しくしていない。

 

「じゃあおれも一緒に待機するわ。これで安心だろ?」

「そ、そうじゃなくて…」

 

384は首を左右に振る。

これは申し訳なさ過ぎる。

みんなにも、726にも。

 

「まー、大勢で動けばはやく復旧するとかじゃなさそうだぜ。

 自分に無理なくできることをやる、ってな」

 

正論ではある。

 

復旧の支援にも、食事の用意にも結構な管理人たちが向かったし、

何しろツールも少ないから大勢で向かったところで

できることは限られている。

 

「確かにそうだけど。

 でも、できることって…」

 

「もちろん、ラサちゃんとメアリーちゃんの可愛い寝顔を見守r―――――」

 

「こら…!」

 

 

*

 

 

「とりあえずこのくらいなら

 人数分はありそうだけど…」

 

クルミは1006と、レトルトの保管された諸々の箱を拝借しながら、僅かな光のある窓辺に広げてみている。

日没は近い。

窓辺でなければ、ものがわからない。

 

「どれも栄養価微妙ー…。

 食欲がないなら無理に食べさせる必要もないが、

 ないよりはマシってところか」

 

1006は呆れたように呟いた。

 

彼自身は、食べなくとも別段堪えないが、

やはりラサとメアリーのことを考慮してくれているらしい。

 

クルミは小さめな鍋を取り出すと、ストックされていたボトルから水を注いだ。

包丁などの器具が使えたなら、色々料理してみるのも良かったが、包丁等刃物の類は一切見当たらなかった。

それに、仮に包丁を見つけたところで、光が乏しい環境下での調理はデンジャラスだ。

 

「水のボトルは、いくつか向こうに運んでおくのが好ましいでしょう。

 暗くなってからあちこち歩き回るのは避けたいですからね」

 

ジョンはそう言うと、いくつかボトルを抱える。

 

その横で、彼の倍ほどの量が入った箱を抱える1006もいる。

 

さらにその横で、1006の倍の箱を抱えたキャロルも並んだ。

 

「肯、確かに皆の行動範囲は狭い方が良いが、

 必要とあればいくらでも私が取ってきてやろう」

 

むしろ湧き水とか起こせそうなキャロルだが、いとも軽い箱を扱うかのように、さくさくと運んでいく。

26名、一人3リットルは充分にあるだろう。

 

幸いにもタンクとは別にいくつも飲み物のストックが用意されており、

食料もそうだが、まるで籠城前の準備が初めからなされているかのようだ。

 

「マグカップはカフェテリアの方にたくさんあったよねぇ。

 カトラリーはどれがいいのかな」

 

皿面は、戸棚を開きながら首を傾げる。

 

「スプーンとお箸があれば

 大体は大丈夫だと思いますよ」

 

259は手元で袋を広げて微笑む。

皿面はひとまずスプーンを運び入れながら、そっと笑ったらしかった。

 

「なんだか、不思議な感じだよねぇ。

 合同訓練ってなんの訓練だったっけって…」

 

「ふふ、そうですね。」

 

彼らが光が落ち始めるカフェテリアに戻ると、中央にひとつだけ、ぱっと明るい光が降りていた。

 

817、810、521が、少しずつカフェテリアのテーブルを一点、囲むように動かし、

ちょうど真ん中にあたるテーブルへ、ランタンを置いている。

ほのかな明かりだが、食事を摂るには問題ないほどの明るさだった。

 

「わぁ、817くん、それどうしたの?」

 

灯りにほっと安心したような皿面が声をかけると、817はテーブルを動かす手を止め、微笑んだ。

 

「ティファレトがくれたんです。

 これならなんとか皆さんで過ごせそうですね」

 

やがて日没時間だが、停電とは思えないほど、全員が活気付いて行動している。

視界が狭まる一方で慎重に行動しなくては行けないが、やることを見つけている。

 

宿舎通路では、ミカンと本体がセフィラから受け取った毛布を、往復して運んでいた。

 

「おふとん~ふわふわ〜待っててねー」

「はしゃぐんじゃない、転ぶぞ」

 

空調が止まったことで、空気は冷えつつあり、

心配したミカンが、ラサとメアリーを含むみんなに用意してもらえないかと、セフィラに申し出たのだ。

 

彼女に注意しながらも、本体は仕方なさそうに毛布を運ぶのを付き合っている。

 

足元は既に暗い。

 

*

 

「ありがとうございます。

 明るいですね」

 

暗いはずの通路は、あたたかな光に照らされ、ホドはそっと呟いた。

 

333はティファレトから渡されたガラスの小瓶に『名誉の羽』を入れ、先頭を歩く彼女の横で微笑んだ。

 

懐中電灯が一方しか照らせないのに対し『名誉の羽』は、あたりをやわらかく照らしてくれる。

何よりもアブノーマリティの光とはいえ、あたたかい印象があるのは333が掲げてくれているからだろうか。

 

 

セフィラたちの手伝いに来ていた管理人たちは、停電の原因を探るため、

訓練中立ち入らないはずの電気制御室へと歩みを進めていた。

 

とはいえ、原因が分からないため、

セフィラたちも五手くらいに別れて復旧の目処探っている。

 

制御室にたどり着けたのはいいものの、

あたりは異常に静けさが広がっていた。

 

「ここも…違いますね。

 形だけは電気が通っているようです」

 

サイレンは、ホドの背丈では見えない箇所を確認しながら呟く。

部屋の両面に並ぶ、寒々とした鉄の箱は、

明かりが消えたまま、正常さを装っている。

 

 

「漏電遮断器が落ちてしまった可能性…

 むしろ実際漏電してしまってる可能性は?」

 

 

淡々とレストが尋ねる。

凄んだつもりはなかったが、彼女の凛とした声にホドはなんとなく縮こまる。

 

「すみません、管理人さん…その可能性も含めて

 他のセフィラとチェックしている最中ですが、今のところ漏電の可能性が高いかもしれません。」

 

「だ、大丈夫だよホドちゃん…!

  もし漏電してても俺が応急処置方法知ってるから!」

 

アルジャーノンがめいいっぱいに励ますが、ホドは感謝しつつも目を逸らした。

 

「ありがとうございます。でもこの数ですから、なかなか漏電箇所の回路も割出せなくて…

  ちょっと時間がかかってしまうんです」

 

彼女の不安げな視線の先には、おびただしい数の鉄の箱が並ぶ壁があった。

 

「みんなで手分けしたらきっとすぐ見つかるさ!大丈夫!」

 

アルジャーノンは、ネズミの手の形でぐっと親指を立てる。

 

「おや?もしかしてここじゃないかな?」

 

ウィリーが一角の鉄の箱をコンコンと、ノックした。

 

「えっ」

 

辺りの鉄箱と比べても外見的差異も違和感もないようだったが、アルジャーノンたちが頷いて見守る。

ホドは息を飲むと恐る恐る確認に開いた。

 

「あ…!ここ、回路が焼き切れてる…?

    すごいです。どうして分かったんですか?」

 

彼女の言葉に、ウィリーはただ微笑んで返すだけだった。

 

「いや、ただなんとなくそんな気がしただけだよ。

 ところで、これもなんとなくなんだけど…

 設備に異常があるのはここだけではないんじゃないかな?」

 

「それは…」

 

ホドはギクリと目を逸らした。

 

しばらくの沈黙が続く。

 

返答に困ったようなホドを見かねて、アルジャーノンが遮ろうとした時、ウィリーはそっと笑いかけた。

 

「いや、随分古い設備だから、ここ以外の場所にも焼き切れている箇所があるんじゃないかな、って思ってね。」

 

「そ、そうですよね。……

 念の為もう少し見回りしてみますね」

 

彼女が緊張した面持ちで目を逸らしながら微笑む。

 

「俺はどこまででも付き合うからね」と、言わんばかりにアルジャーノンがハッスルするのを背景に、

レストは静かにホドの挙動を観察していた。

 

 

*

 

 

「726さん、384さん、お疲れ様なの」

 

そっと、毛布を運び入れてきたミカンの柔らかい小声で、384は不安そうな顔を上げ、726はニコニコと出迎える。

 

「おお、ミカンちゃん」「ミ、ミカンさん…」

 

眠っているラサ、メアリー、そして項垂れているキャロンに気を遣うように、

小さく柔らかい声は、384の緊張感も解くようだった。

 

ミカンは726と384にそっと毛布を手渡す。

 

「今夜はきっととっても寒いから、これ使うといいの。

 それから、少しずつごはんの支度ができてるから、

  そろそろカフェテリアに集合だよー。」

 

「ありがとうございます…」

 

 

すでに日没した様子が、ブラインドを下げたままの大きな宿舎の窓から確認できる。

空調が止まっているのだから、随分と冷えてしまうだろうが、

ミカンから手渡された毛布はそれ1枚でも1晩過ごせそうなほどの十分な品質だった。

 

ミカンは、ラサとメアリーを起こしてしまわないよう、静かに毛布を広げてかけてやると、

座ったままベッドに項垂れているキャロンの肩にもそっとかける。

 

「よしよし…アナタもあんまり無理しちゃだめなの」

 

ミカンは小さな柔らかい声をかけながら、キャロンの頭を優しく撫でる。

 

キャロンがいつもの調子だったなら、今頃ミカンも抱きしめて、よだれ頬ずりは免れなかっただろう。

反応がない所を見ると、彼女もぐっすり眠ってしまっているらしかった。

 

少しだけ緊張が解けた384は、そんな様子を見守って微笑み、

726に腕を引かれてアルジャーノンの部屋を後にした。

 

 

足元がすっかり暗くなってしまったが、吹き抜けを通して僅かなランタンの灯りが届く。

思っていたよりよく見えるのは、単に暗順応のおかげだけではなさそうだ。

静かながら活気もある。

 

 

*

 

銀のトレーを抱え、カフェテリアから僅かに届く灯りを頼りに、ソーニャはゆっくり階段を降りていた。

彼女は今ほど、ラサとメアリー、キャロンの3人分の料理を運び入れ終えたところだ。

 

ラサとメアリーは先程よりは落ち着いた表情で眠っており、ソーニャ自身も安心したところだった。

キャロンは、いつものテンションとは打って変わって、緊張した面持ちでメアリーの手を握っていたが、

先ほど見た時には、ミカンたちが届けた毛布を肩に掛けられ、

メアリーの手を握ったままベッドに突っ伏して眠っていた。

 

いつかの自分の面影を見る。

 

 

その時、長く暗い通路にランタン以外に、いくつも点々と小さな光が灯っていくのが吹き抜け越しに見えた。

 

まるで夜の滑走路のように、等間隔で並べられていく。

小さいので決して明るくはないが、気持ちを安心させるには充分な光だった。

 

ガラスの窓に所々艶やかに反射するだけで、

キラキラと空中にも灯っているように見える。

 

「あ、管理人さん」

 

ホドは、電池性キャンドルのスイッチを入れて、床に置く前にこちらに気付いて振り返った。

側には幸せそうに手伝うアルジャーノンがいる。

 

 

「とても綺麗ですわね」

 

「そう!!とても綺麗だろう!!??!」

 

 

ソーニャが言いかけたところで、身を乗り出したのは、アルジャーノンだった。

 

彼が何を綺麗と語ろうとするのか、言わなくても分かる。

イラスト:みるく様

全く気付いない当の本人、

小さくも優しい暖色のライトに照らされたホドは、柔らかく頷く。

 

 

「E.G.Oの灯りを見て施設内を皆さんで歩いていたら

 倉庫にたくさんあるのを思い出したんです」

 

 

優しく微笑んで語るホドは、直後

そっと寂しそうにくもらせて続ける。

 

 

「…このバッテリーキャンドルは、本当は

 亡くなった職員さんたちを追悼するために

 ずっと前からストックされていたものなんですよ。

 施設内では火を起こせないこともありますから、

 そんな時でもみんなを思えるように。」

 

 

「素敵なアイディアね。とても安らぎます」

 

 

景色に溶け込むような喪服のソーニャが微笑むと、

ホドはそっと小さく呟いた。

 

うなずくように、

うつむくように。

 

 

「―――…私にできることは、このくらいですから…」

 

 

*

 

ラサは、重い瞼を開ける。

どこかの個室らしいベッドで、毛布をかけられて横になっている。

 

部屋の明かりはないが、開きっぱなしらしい扉から

廊下の僅かなライトが見えた。

 

あの、施設が明かりが落ちたと分かった時、強い眩暈を覚え、

それから動けなくなり、意識が遠のいた所まではなんとか思い出せる。

 

そこからはよく思い出せないが、自分の周りで誰かが色んな話をしていたり、

走り回っていたりしたことは、なんとなく記憶にある。

 

「……ここは…――――――…ホド?」

 

視界に入るホドのポスター。

ここはおそらく“アルジャーノン先輩の部屋”だろう。

しばらくしてから察した。

 

「気が付きましたか…」

 

横から細く小さな声が聞こえた。

 

薄暗い視界でも、メアリーがすぐとなりでラサに並んで横になっているのは分かった。

 

小柄な彼女たちは、ひとつのベッドでも余裕がある。

そしてメアリーの向こうには、彼女に縋り付くように眠っているキャロンの姿があった。

 

「私たち、倒れたらしいですよ」

 

「え…?」

 

眩暈は覚えているが、何故倒れたのか、やはり全く分からない。

 

「訓練は中止、セフィラとほかの管理人たちは復旧とか、配膳とか…色々してるみたいです。」

 

メアリーは淡々と語る。

 

普段静かな彼女がこれほどまでにしゃべってくれるとは思わず、ラサもじっとその言葉に聞き入っていた。

ふと、メアリーの方に視線を向けてみると、彼女は突っ伏して眠っているキャロンをじっと見つめていた。

 

「嫌な集まりですよ。自分たちの支部では、こんな思いせずに済んだのに。

 何故倒れたのが私たちだけだったんでしょうか。

 こんなことにならないで済むには、どうしたらよかったんでしょうか。」

 

彼女の声は、小さいながらも、色々な感情が複雑に混ざって聞こえてくる。

それは、静かな彼女の心が震えあがってわき出す感情のようでもあった。

 

「ほんと……嫌な集まりです。」

 

メアリーは最後に再び、ぽつんと、そう言い終えると、眠るキャロンの頭を撫でた。

 

「メアリー先輩…」

 

彼女の言葉を、今日は少しだけたくさん聞いた気がする。

 

 

未だに指先に力は入らないが、すっかり落ち着いて、

自分でも今夜よく眠れば回復するだろうということが分かる。

 

早く良くならなくては、と思う反面、

ラサは目を閉じながらそっと静かに微笑む。

 

――――“こんな日々がもう少しだけ。

   もう少しだけ続いてくれたら”

 

と。

 

 

           END『11月の雨』

 

(タイトルに特に意味はないです。まだ本編を書くのに奮闘していた4年ほど前の11月に、

 和泉さんのピアノ『11月の雨』を無性に聴きたくなって、ふと書き始めたお話でした。